
おおきに~。
今日は、昔の写真ができたんで、昔話を。
昔のお座敷について話させていただこうかなと思います。15歳で来て修行時代は菊水楼で修行でしたがまずは慣れるまで半年は、叔母のお茶屋つるやでということになりまして…。
昼間はお稽古。夜のお座敷はつるやの座敷の隅で正座をして、おねえさん方を見て、灰皿をとりかえたり、お料理のお運びをしたり、お酒の燗をつけたり、当時は、8トラと呼ばれるカラオケを皆さんされていて、リクエストがあったテープを各部屋に届けてました。
テープは1本しかなく 歌詞は、つるやにコピー機があり、各部屋に置いてあるファイルの中に入れてました。



大人の会話をしているときは、おねえさん方は、
「ちびちゃん耳ふさいどき~」、「ちびちゃん 〇〇とってきて」やら。
半年たち菊水楼では、玄関番の後、各部屋にカセットデッキを持って踊りを一曲踊ります。
ですが、振袖を着た女の子の踊りはあまり喜ばれる事はありません。
物珍しさで、孫のようやと喜んでもらえることはありましたがそれもまれ。おねえさん方と一緒の座敷では、ビクビクしながらも白塗りに裾を引いた日本髪姿に憧れるようになりました。
半年後には、舞妓さんにと言う話しでしたが以前にもお話しした事があり、なくなりました。中村席でその話しを聞いて つるやに帰る途中 元林院の小さい祠の前でうずくまっていると ステッキを持ち白地の夏大島にハットを被った 絹谷幸二画伯の叔父さんになる絹谷さんが 「つるやのちびちゃんどないしたんや」と話を聞いてくれ「そうか…せやけどいつか舞妓さんになれるさかいなあ。お気張り」とつるやまで送ってくれました。



そんなこともあり、そろそろ18歳を迎える 前に水疱瘡になり1ヶ月40度近い熱が続き顔や身体中や口の中にも水疱瘡ができ何も食べれず、近くの竹村内科医院に毎日点滴にいきました。
当時、体重は33キロとかで。 そんな事もあり耐えた3年間。舞妓に憧れて来たのではありませんでしたがこの3年間で早く舞妓さんになりたいと言う気持ちが芽生え、晴れて舞妓の店出しの日、母と菊水楼へ向かう猿沢池で、じんわり涙が出たのを覚えてます。
お座敷は歳を重ねる毎に、私も楽しみ方を覚えました。さて舞妓さんになってからは またお話しさせていただきます。


Average Rating