
私が奈良に来た時には地方さんが、長唄、三味線を指導していただいてた元林院1番上の須寿美ねえさん、早間席で姉妹で芸妓をされていた、知子ねえさん(妹さんは立方の若太郎ねえさん)屋形を何度も変わっている米千代ねえさん、検番の並びに住まわれていた小竹ねえさん。…と4人いてました。
もう1人いてたおねえさんはお座敷にはもう出られてなく時折、お風呂やさんに行く時に桶を持って歩かれてた姿を数回みましたが、程なく亡くなられました。
暫くして私が年長の舞妓になった頃に小唄のお師匠さんの妹分だった千賀ねえさんが中村席に地方さんがいなかった事もあり 、お母さんが「また座敷に出てくれないか」と言ったようです。

それぞれのおねえさん。須寿美ねえさんは師匠業もあり御贔屓さんの時のみ座敷に出られてました。舞妓に出て1番お世話になった米千代ねえさん。


菊水楼の岡本博行社長さんが、
「菊乃の地方さんで毎日来ておくれやす。面倒見てあげて」と。全く怒らないおねえさん。
「お酒も若い頃は呑んでたんやけど、お医者さんに胃、肝臓の数値がってドクターストップかかりましたんや。」とおっしゃってました。
旦那さんがおられていて私もよく「京都行ったさかいこの簪こうてきてん」
「このカバン一澤帆布ゆうてな丈夫やさかいお稽古の時つこうて」やら随分プレゼントいただきました。おねえさんが、「菊乃ちゃんな、おっちゃんからこれ」…と髪結いさんで一緒になったときにも何かといただきました。
小竹ねえさんは検番の並びの鰻の寝床…。玄関から人1人しか通れないお家で奥に2〜3畳の貸家に住まわれ、外に七輪を出して秋刀魚を焼いてお手洗いは近くのスーパーで。
ですが、お座敷では豪華な着物で外国人のお席では「マイネーズイズスモールバンブー!」 などと、英語っぽい言葉で座敷を盛り上げる売れっ子の芸妓さんでした。
伊藤席の男舞、立役の里栄ねえさんからは「ねえさんその折り紙人形みたいな着付けけったいやわ」「そんなこと里ちゃんかて」ケンカなんかわからない微笑ましい言い合いで。晩年の人生設計をしっかりされてたようで結構な金額を貯金して、往年は、老人ホームに入り、三味線を弾いて皆さんを盛り上げられていたようです。
今はどのおねえさんも亡くなられ寂しいもんです。
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