Loading
0 0

 奈良では秋の風物詩 正倉院宝物展が明日から開催されます。毎年これを目当てに奈良に来られる方も多いと思います。

では正倉院についてのおさらいを書かせていただこうかな?と。


正倉院の由来
 奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には,重要物品を納める正倉が設けられていました。そしてこの正倉が幾棟も集まっている一廓が正倉院と呼ばれたのです。しかし,あちこちに置かれた正倉は,歳月の経過とともにいつしか亡んでしまい,わずかに東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残ったのです。これがすなわち,正倉院宝庫です。
 8世紀の中頃,奈良時代の天平勝宝八歳(756)6月21日,聖武天皇の七七忌の忌日にあたり,光明皇后は天皇の御冥福を祈念して,御遺愛品など六百数十点と薬物六十種を東大寺の本尊盧舎那仏(大仏)に奉献されました。皇后の奉献は前後五回におよび,その品々は同寺の正倉(現在の正倉院宝庫)に収蔵して,永く保存されることとなりました。これが正倉院宝物の起りです。そして,大仏開眼会をはじめ東大寺の重要な法会に用いられた仏具などの品々や,これより200年ばかり後の平安時代中頃の天暦4年(950)に,東大寺羂索院の倉庫から正倉に移された什器類などが加わり,光明皇后奉献の品々と併せて,厳重に保管されることとなったのです。正倉院宝物は,このようにいくつかの系統より成り立っています。

 この正倉院宝庫は,千有余年の間,朝廷の監督の下に東大寺によって管理されてきましたが,明治8年(1875),宝物の重要性にかんがみ内務省の管轄となり,次いで農商務省を経て宮内省に移り,引き続き宮内庁の所管するところとなったのです。なお,宝庫は現在,古来の正倉のほかに西宝庫・東宝庫があり,いま宝物はこの両宝庫に分納して保存されています。

宝庫について

正倉は前記のとおり,もとの東大寺の正倉で,奈良時代以来宝物を襲蔵してきた宝庫です。檜造り,単層,寄棟本瓦葺きで,高床式に造られています。間口約33メートル,奥行約9.4メートル,床下約2.7メートル,総高約14メートルの大きさをもち,床下には直径約60センチの丸柱が自然石の礎石の上にどっしりと立ち並んで,巨大な本屋を支えています。その豪壮な構えと端正な姿は,まことに奈良時代第一の大寺である東大寺の正倉,わけても国家的宝物を安置する宝庫にふさわしいものです。

倉は三倉に仕切られ,北(正面に向かって右)から順に北倉,中倉,南倉と呼ばれています。北倉と南倉は,大きな三角材(校木)を井桁に組み上げた校倉造りで,中倉は,北倉の南壁と南倉の北壁を利用して南北の壁とし,東西両面は厚い板をはめて壁とした板倉造りです。また各倉とも東側の中央に入口があり,内部は二階造りとなっています。北倉は主として光明皇后奉献の品を納めた倉で,その開扉には勅許(天皇の許可)を必要としたので勅封倉とよばれ,室町時代以後は天皇親署の御封が施されました。中倉・南倉はそれ以外の東大寺に関わる品々を納めた倉で,中倉は北倉に准じて勅封倉として扱われ,南倉は諸寺を監督する役の僧綱の封(後には東大寺別当の封)を施して管理されましたが,明治以後は南倉も勅封倉となりました。

正倉院宝物が現在もなお極めて良好な状態で,しかも多数のものがまとまって残されているのは,一つには勅封制度によってみだりに開封することがなく,手厚く保護されてきたことに負うところが大きいのです。また建築の上からみると,宝庫がやや小高い場所に,巨大な檜材を用いて建てられ,床下の高い高床式の構造であることが,宝物の湿損や虫害を防ぐのに効果があったものと思われます。その上,宝物はこの庫内で辛櫃に納めて伝来されましたが,このことは櫃内の湿度の高低差を緩和し,外光や汚染外気を遮断するなど,宝物の保存に大きな役割を果たしたのです。

ところでこの宝庫は,奈良時代の創建以来,幾多の危機に見舞われています。治承4年(1180)の平重衡の奈良焼き(南都焼打ち)や永禄10年(1567)の三好,松永合戦の兵火による大仏殿炎上,建長6年(1254)の北倉への落雷などがその主なものですが,幸運にも大事に至らず,ゆるぎない姿で今日に伝えられたのです。しかし,その間には経年による朽損,雨漏りなども少なくはなく,建物の維持のため,大小いくつもの修理が行われています。たとえば,いま見る外観のうちで,床下の柱に巻いた鉄の帯や,本屋を支える根太の鼻にかぶせた銅板は,後世の修理時に加えられたものです。

なお,宝庫の建築年時については,そのことを直接記録した資料がないので明確ではありませんが,文献に見える記事から,おそくとも天平宝字3年(759)3月以前に出来上がっていたことは確実とされてきました。また宝庫が校倉と板倉とを一棟にまとめた特異な構造であるため,はたして創建の当初から現在のような形であったのか,あるいは中倉は後に継ぎ足されたものではなかったかということが専門家のあいだで議論されてきましたが,近年では,使用されている建築材の科学的調査(年輪年代法)によって,宝物献納と相前後する時期に,最初から現在見るような姿で建築されたと見る説が有力となっています。

なお,この正倉は,平成9年(1997)に国宝(正倉周辺地域は史跡)に指定され,翌年には「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

では、今年の開催は、

奈良国立博物館における『第74回正倉院展』開催のお知らせ

粉地彩絵几
ふんじさいえのき
 第10号
八角鏡
はっかくきょう
 漆背金銀平脱
しっぱいきんぎんへいだつ
 第12号

『第74回正倉院展』が、令和4年10月29日(土)から11月14日(月)まで、奈良国立博物館において開催されます。

正倉院事務所からは、59件の宝物を出陳します。楽器、調度、服飾品、仏具、文書(経巻)など宝物全体が概観できるような構成となっており、聖武天皇御遺愛品を中心とした北倉の宝物からは、鏡背に黒漆を塗り、金・銀の薄板で花鳥文をあらわした八角鏡はっかくきょう 漆背金銀平脱しっぱいきんぎんへいだつ 第12号」や、沈香系統の香木「全浅香ぜんせんこう、異国情緒あふれる意匠の﨟纈屏風ろうけちのびょうぶ 鸚烏武おうむ象木ぞうきなどが出陳されます。

また、大仏に仏飯を供えるために用いた「銀壺ぎんこ 乙」や、巻葉形の脚が諸色の暈繝うんげんで彩られた「粉地彩絵几ふんじさいえのき 第10号」のほか、東大寺大仏開眼会の華やぎをしのばせる「伎楽面 木彫第24号(力士)」、舞楽装束「大歌おおうた 緑綾袍みどりあやのほう 第1号」などが出陳されます。

このほか、史料では奈良時代の地方財政の運用状況を知ることができる「続々修正倉院古文書 第43帙第3巻 所残公廨米解のこるところのくがいまいげ(天平勝宝7)」などが展示されます。

名称  『第74回 正倉院展』
主催  奈良国立博物館
会場  奈良国立博物館 東新館・西新館
    奈良市登大路町50(奈良公園内)
    電話 NTTハローダイヤル 050-5542-8600
会期  令和4年10月29日(土)~11月14日(月)
出陳宝物 白石鎮子 寅・卯以下59件(初公開宝物8件)

詳細は下記アドレスまで(奈良国立博物館ホームページ)

https://www.narahaku.go.jp/(別ウインドウで外部サイトが開きます)

Happy
Happy
0 %
Sad
Sad
0 %
Excited
Excited
0 %
Sleepy
Sleepy
0 %
Angry
Angry
0 %
Surprise
Surprise
0 %

Average Rating

5 Star
0%
4 Star
0%
3 Star
0%
2 Star
0%
1 Star
0%

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。